
配偶者の発達障害は受診させるべきなのか?
我が家にはモラハラをこじらせたヤバイ夫がいます。
以前から疑っている夫の発達障害
もちろん重度のモラハラには人格の病が関係することはわかっているのです。
しかし発達障害の特性も強すぎる夫…
それがモラハラ具合を加速させている原因の一つなのかもしれないと考えた私は、発達外来を受診させたいと思うようになりました。
私のように配偶者の生きづらさに気づき、受診させたいという悩みを持っている人は世間ではわりと多いようです。
しかし、専門機関へ誘導すること自体が大変なミッション。
今回の私のエピソードは、夫を受診までは誘導が出来たけれど失敗したお話。
実は大人しく病院まで着いてきた夫には、他に目的がありました。
「おかしいのは妻である」という主張をしてやろうという計画があり、それを本当に実行したのです。
それにより混乱を招き、目的であった検査をして貰うことも叶いませんでした。
わざわざ受診をさせたことは時間の無駄であったと結果的には後悔しております。
検査までは至らなかった事実は、人格の歪みが非常に強い夫からすると「やっぱり自分は普通だった」と解釈することになります。
そして後に、病院に連れていかれたことを妻の加害行為として解釈し、その他の理由も含め慰謝料請求をしてくることになったのです。
本当に恐ろしいです。
”特性を改善することは自分のステップアップに繋がる”という考えに普通ならば行きつくでしょう。
しかし人格の歪みが激しい人間は、そんなプラスに物事を捉えることはできません。
そもそも彼らにはそんなスペックなど備わっていないのですから。
夫にとって病院に連れていかれたという事実は、相手の攻撃としか考えられないのです。
配偶者の発達障害に気づき、何とかしなければと感じている人に経験者として言えることは、本当に改善をしなければならないのか良く考えて欲しいという事。
必ず添い遂げるつもりですか?それならば大いに意味のあることだと思う。
一生を棒に振る覚悟がないならば、放っておきましょう。
下手すれば私のように、加害者に仕立て上げられるという恐怖を味わなければなりません。
ここまで大きく育ってしまった人間を改善することは非常に過酷です。
パーソナリティ障害を持っているならば受診はお勧めできない
まず最初に念押ししておくと、私の目的は夫の療育、支援を夫婦共に乗り越えようというものではありませんでした。
もう離婚することは私の中では決めていましたので。
①夫に認知の歪み等を自認して貰うこと。
②夫に自ら改善への努力をして貰うこと。
あわよくば ③により離婚紛争などが有利に進むのではないかと企む。あくまでも、あわよくば…
そのような算段から、私は病院をピックアップ、予約し受診まで付き添うことにしました。(実際にはそのような診断書などで離婚が有利に進むなんて事実はありません。)
しかし
そんな未来予想図はいとも簡単に崩れ去るのです。
モラハラあるあるの一つでもありますが、彼らは家ではモラハラ行為で家族を苦しめているにも関わらず、家の外では穏やかな人柄を演出できてしまいませんか?
うちの夫も家の外では実に温厚な人格を完璧に演じてしまうという危険な人間であります。
なんと、その演技に医師も見事に騙されたようなんです。
その医師は、夫を診て何らかの特性は感じられると言ったにも関わらず、特に私(家族)からのヒアリングも求めず、「検査する必要はないのでは?」と頑なに自分の見解を貫きました。
今後、配偶者を受診させようと考えている方は聞いて下さい!
私が体験した出来事を通して、今後起こりうる事態を想定し、自分の人生を二の次に出来る覚悟があるのかどうかを良く考えて欲しいのです。
そして確認しておきたいことがあります。
あなたの配偶者に、人格の病は感じられますか?感じられないですか?まずそれを知って下さい。
本当に発達障害のみならばスムーズに進むのかもしれません。
が、人格の病が備わっているならば全く別物として捉えなければならないのです。
ウチのモラハラ夫の場合も発達の問題だけでなく、人格の病である何らかのパーソナリティ障害も煩っていると思われます。
そんな人間を受診させても無意味でしかないと、理解できました。
もし配偶者にモラハラ要素があるならば、自己愛などの人格障害がないかどうかは事前に理解しておくと良いかもしれません。
自己愛テストでその可能性があれば受診はお勧めできません。
あなたが傷ついて終わるだけになるでしょう。
夫婦カウンセリングをまずは受けてみる?
夫に発達外来を受診させたことを今になって振り返ると、医師からすれば夫婦げんかの延長としか受け止められなかったのだろうと思います。
双方がそれぞれ相手方のことをおかしいと言い合っている図は、まさに夫婦喧嘩なのです。
受診した本人が、それこそ純粋に発達障害のみの疾患であるならば、素直に周囲の導きに身を任せる可能性が高いかもしれません。
なぜなら発達障害の生きづらさは個々にありますが、話し合いは有効だということは断言できます。
他者からの指摘を受け止め、考え、反省し、改善をする努力、共存のための歩み寄りをできる可能性が発達障害者にはあります。
しかし人格障害である、何らかのパーソナリティ障害を煩っているならば無理です。
自分の非を認めることは絶対にありません。
並びに他者から指摘なんてものをされると攻撃されたと判断するのです。
「あなたには発達の問題からの生きづらさがありますので、治療により他者との共存をより良いものにしましょうね」と声をかけられたところで正確に彼らの耳に届くことはありません。
頭おかしいと言われた!と憤り、そんなことを言う相手のことを「アイツはヤバイ。頭おかしい」と解釈します。
これは自己愛などを煩っているならば絶対にそうなります。
そして夫の受診で出会った医師は私達へ「夫婦カウンセリングに行って」と結論付けました。
このまま検査や受診を続けても埒が明かない夫婦と判断されてしまったのです。
両方が相手のことをおかしいと言い合っているんですから仕方ないと言えばそうなのですが、これは医者のするべき導きなのか?という怒りが芽生えてしまいました。
公的機関などの相談センターの相談員が「コイツら埒があかん、夫婦カウンセリングへ行って!」と言うならば腑に落ちます。
しかし発達外来の医師であるならば、わざわざ訪れ、検査してくれという者に「検査しない、カウンセリング言って」という判断は如何なものでしょうか?
いったい何を守りたいのかもさっぱりわかりません。仕事でしょ!?と怒鳴りつけたくなります、怒鳴りませんが…
検査しないならば、何のために医師として存在しているんですかね?というのが私の結論…
誰も幸せにならない結末になってしまったことをこの医師は重く受け止めるべきです。もう記憶にもないんでしょうが…
完全にクレーマーのようになっておりますが、仕方ないです。
カサンドラを煩っている者からしたら絶望しかないんですよね。
しかしながら何事も縁であり、私は病院選びに失敗したと諦めるしかないわけです。
どちらにしろ配偶者の生きづらさが発達障害に留まらず人格障害もあった場合は、受診や検査は意味がないものになるのかもしれません。
今の医療で人格障害に施す治療は無いに等しいそうです。
私はこの時の医師に「人格障害の傾向を感じるのですか?」と最後に聞いてみましたが困り顔で黙ってしまいましたので、きっと知識がなかった(専門分野ではなかった)のでしょう。
夫婦カウンセリングについては、医師に進められたことは未だに腑に落ちません。
しかし、配偶者に生きづらさを感じると素人の私に相談する人がいるならば、夫婦カウンセリングに行くべきとオススメすると思います。
その方が近道かもしれません。
そこで発達検査をするべきとカウンセラーが判断を下せば適切な導きにありつけるでしょう。
そこから別の何かも見えてくるかもしれません。